「自分の症状」によって見えたことそして、人道的な支援とはなにか

最近、特に判断力や理解力がかなり悪くなってきた。一度言われたことなのに、全くといっていいほど覚えられないこんな症状は今まで少しはでてきていたが、これほどひどいのは初めてだ。不安になった私は、職業に対する相談所のようなところに言って、自分の症状を聞いてみた。するとどうやら私だけではないらしい。
 日常のちょっとしたことができなくなったり、基本のところー例えばメモを取って覚えることとか全くできずに悩んでいる方が多くなってきているらしい。実際にそれによってひきこもりになる原因にもなったりかなり深刻なことなのに、社会においては、深刻な事態だと捉えていない現状がある。「そんな面倒な人材に金をかけるより、普通の人たちに金や手間を掛けた方がやりやすい」という一面もあるからだろう。
 今、この国はその「症状」についてどれだけわかっているのかはわからない。この「症状」をもし改善することができたなら、きっとひきこもりやニートという人たちを理解する上で必要なプロセスなのではないだろうか。
 この「症状」を通して、色々な人や職にありつけていない人たちを見てみると、もうひとつの現実がそこにあるのではないだろうか。そして、理解するのが難しいなら、ちょっと歩みよるだけでいいから、話を聞いてほしいと思う。
それがきっと世の中の職にありつけない人たちを救う手立てが思いつくかもしれないと私は信じている。「人は色々いる。そして色々な形の華がある」ということを今一度心に刻んてほしいと私は願う。
 だれかが、この「症状」をもっと研究して、緩和できたら、そのとき人間は人間という生き物を一つ理解したことだと私は思う。もしかしたら、この「症状」を知ることそれがきっと就職氷河期と言われるこの時代の光になるかもしれないと私は思う。
 少し話は変わるが、チョークを制作・販売している会社が、「障害者」という人たちを雇うことで見えてきた「現実」を語った本がある。あれを読むだけでもきっと世の中変わっていくと私は思う。
 「何かの症状」を抱えた人と関わることでみえる「現実」は違いはでるだろう。しかし、社会という歯車の中で必要なことだと私は感じるのだ。
 「社会に貢献することや人道的支援」というのはどういうことなのか・。それを理解するために。
自分はそのことを伝えるために、この症状になったのだと私はそう思えてならないのだ。そして、この「症状」を語り、伝えることそれが今私にかせられたことなのだと。ロスミンローヤル 楽天